南方航空とJALに助けられた19歳の中国野宿

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日中はずっとここ

感謝しても仕切れない。JALと南方航空の人に助けられた2018年の夏の話です。

そんな僕の初海外の思い出です。

何があったのか

2018年に僕はアメリカに行くことになりました。当時19歳だった僕ですけど海外は初のことで飛行機すらも修学旅行で沖縄に行ったことがあるくらいでした。修学旅行だったので手続きとかは全て学校がやりみんなの列についていけばなんとかなったのでもうほぼ初空港でした。

特に飛行機の下調べもせずアメリカに行く一番安い便を購入しました。それが南方航空の中国を経由してロサンゼルスに行くという飛行機でした。

経由便が面倒なのはわかってましたが飛行機の値段が倍近くなったので安い方を選んでしまったのが失敗でした。

当日は前日の夜に空港に行き次の日の飛行機を待っていました。9時ぐらいの便だったので6時くらいに起きて準備して軽食食べてなんてしてました。アホすぎてアメリカ入国に必要なESTAの登録もこの時にしておりました・・・。これはある意味経由便で時間がかかるお陰で助かりました。(笑)

搭乗手続きなんかも全くわかってなかったので空港の人たちに助けられながら登場手続きが完了しました。そして時間になり出発し日本と飛び立ちました。

そして上海に着いたのですがここからが悲劇の始まりです。降りてどこに行けばよくわからないまま入国ゲートに行くと違うと跳ね返されました。経由便専用の人のトランジットゲートに行っても跳ね返されました。もうどこにも出ることができない状況になってしまったのには訳がありました。

飛行機のメールを見てみると一番したに「この便は上海-広州を経由してLAに行きます。」と記載がありました。搭乗手続きする際にも南方航空の方に渡された紙があったのですがこれの事でした。

飛行機を購入する際には「日本-広州-LA」しかなかったので全くわかっておりませんでした。

一度中国で国内線を利用するので中国に入国が必要となるややこしい便です。これは後から知ったのですが本来は降りた直後に一般とは別ルートで入国やら検査をして広州行きの飛行機に乗るというルートでした。だから入国ゲートもトランジットゲートもどちらもあなたはここじゃないという詰んだ状態になってしまったのです。

そこからどうしたのか

空港の職員さんに訳を説明してなんとか入国できました。あんまり覚えてないのですが確か入国後に南方航空の方に行ってと言われたような記憶があります。

上海空港の南方航空のところに行きあっちも困った様子でどうしようどうしようなって、かつ僕は中国語も英語もできないので全く会話もままならなかったです。空港カウンターの裏口通してもらって電話を借りて親に電話したり保険会社に電話したりしましたが何もできるわけなくお金も出なく途方に暮れていました。

そこにたまたま仕事で来てた日本人の方が翻訳をしてくれてなんとか広州には行けるようになりました。名前もわからない方ですが本当にありがとうございます。

広州に行けるようにはなったのですが飛行機は次の日と言われました。ホテルも南方航空の方に勧められたのですが1泊2~3万とかだったのでギリギリの金で飛び立った僕には無理でした。とりあえず空港で1泊することにしました。ご飯も食べずにひたすら寝て過ごしてたのですがあまりにも暇でポケーっとしてました。

同じく次の日の飛行機を待ってた中国人がバッテリーないか話しかけてきたのでバッテリーを貸したました。そしてご飯何も食べてないことを伝えるとりんご1個と謎のお菓子と水をくれました。なんでりんごそのまま持ってんのとは思いましたが唯一の食料だったのでありがたかったです。

そして次の日になり広州に行くことができました。

そして広州でも詰む

広州についてまた南方航空のカウンターに行きました。

そしたら飛行機を取り直すということになりました。LA行きにするか日本に帰るかのプランでした。もうホームシックになりまくってた僕は日本に帰ることを選択しました。ですが日本に帰る飛行機が20万くらいすると言われてしまいます。現金も持ってなければカードの残り使える残高も5万程度でした。(当時カード作ってすぐだったのと20歳未満だったのでカードの上限が20万でした。さらに飛行機も同じカードで作ってのでこの額です。)

そんな金持ってないからこのお金でどうにかできないかなんてめっちゃ痛客してました。

南方航空のところに隣接してJALのカウンターがあり、仲が良いのか南方の職員がJALの人呼んで通訳しながらの手続きでした。しかしここでまたさらに詰んでしまいます。本来はLAにいる事になってる僕ですので手続きが踏めないという事になりました。

完全に詰んだ僕はこうしてああしてと懇願しましたがどうすることもできませんでした。勿論南方航空の方も一人女性が僕に付きっきりで対応してくれてその方がJALの方とも連携取ってくれてたんですがその人にもどうすることもできませんでした。

JALの支店長かエリアマネージャーみたいな男性の方がスマホを貸してくれて母と連絡を取ることができました。ここで母と連絡取っても何にも解決しないのですがどうしようとなっているとその支店長の様な方がどうなったか様子を見に来てくれました。日本人だったので事細かにこういう事情でどうしようもない状態ですと伝えたところその方が電話で南方航空の方と電話してくれて南方のカウンターでも専門的な知識だったので細かくはわかりませんが「このコード書き換えなよ。」的なことをしてくれて詰んだ状況からLAに行けるように手続きを全てしてくれました。お金はどうしてもかかるので5万だと2日後しかないと言われましたがもうなんとかなるならなんでも良かったのでOKしました。

結局本当に全てのことをJALの方がやってくれて手続き待ちになったところで「どうなったかまた教えてよ!」と言われて去っていきました。

少し時間が経った後に南方航空の方でも手続きが完了しました。散々お金がないことを伝えていたので南方航空の方がカップ麺を2日分くれました。次はもっとお金を持ってくるといいと言われましたがほんまにその通りです。

南方航空の方。そして全く関係のないJALの方。本当にありがとうございました。

アメリカへ旅立つ

飛行機が二日後という事だったのですが中国のフリーWIFIはgoogle等メジャーなものが使えませんのでひたすら暇を過ごしてました。帰ったらすることをメモしたり、同じ空港で待ってる人と交流したり、子どもと絵を描いたりなんだかんだで2日経ちました。

寝るところも中国人の老夫婦に教えていただきソファで寝ることができたので比較的快適には過ごしていました。

アメリカ行きの飛行機に乗ってLAついてLAの予約していたホテルが空港から5kmほど歩いたところにあったので歩いてやっとのことでホテルにつきました。

集団部屋だったのですが4日ぶりのシャワーは人生で一番気持ちのいいシャワーでした。

JALも南方航空もありがとうございました。

なんとかなった初飛行機でしたが、本当に周りの人に助けられました。

カウンター裏に入ったり、りんご貰ったりと滅多にできない経験はしましたがもう2度とあんな状況にはなりたくないです。(笑)

特にJALなんて僕の対応しても1円の利益もないのにずっと付きっきりで対応してくれました。最後に挨拶しようと思ったのですが行く時間が毎回JALカウンターが閉まってて結局挨拶ができなく、総合カウンターに手紙を渡して欲しいと頼みました。

帰国後も旅行代理店等を使ったりしてJALと南方航空に感謝の文章を送ったのですが届いてるのかわからないです・・・。でも本当に感謝してます。

人生窮地に立たされると自分の余裕なくなります。それでも手を差し伸べてくれる人もいるんだなと思えた時でした。

本当にありがとうございました。

そして2年後くらいにまたアメリカ行くのですが3月でコロナ禍なりたてて帰りの飛行機がなくなったり、3回目のアメリカは入国拒否されたりと僕がアメリカ行くとトラブルがついてくるのは何故でしょうか。(笑)

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